4月の中旬から、パパの容体が急変してからまた1ヶ月が経ちました。
透析初日。不整脈が出て血圧が急激に下がり、途中で中断となった。
それ以降、体の中の酸素が低迷し肺に水も溜まり、かなり呼吸が苦しそうな状態が続きました。
そして・・・。透析中断後から数日経ち、もういつ呼吸が止まってもおかしくない状態と言われ・・・・
延命措置をしますか?と先生から告げられました。
頭が真っ白。
でも延命措置の決断は、その日の夜までに決めて欲しいと言われ・・・。
泣きながら、、お姉ちゃんと相談して二人が出した結果、延命措置はしないで下さい、と先生に伝えました。
延命措置をする場合、人工呼吸器になると言われ、呼吸器を付けたらもうパパとは話すことが出来ない。
生きているのに声を聴く事が出来ないと言われました。
私たちは、パパにとにかく辛い治療はさせたくない想いでいっぱいでした。
これから先、人工呼吸器での入院生活になった場合、退院の目処がつかない入院生活は厳しい。
とても、とても辛い決断でした。
透析初日の日から個室に移動されてしまい、病院からはいつどうなるか分からないため、病院に泊まって下さいと言われ、病室にいる間、パパの手をしっかり握って、『パパ頑張って』と言うことしか出来ませんでした。
どれだけ涙が出たかわからないくらい、泣いていた。
そして、その状態の中で私の彼と婚約を決めました。
せめてパパが生きているうちに報告をしたくて。
2週間くらい、昏睡状態が続き、パパの兄弟や親戚、私の友達などみんながパパに逢いに来てくれました。
本当にありがとうございました。
みんなの想いが伝わったのか、病室で透析が出来る状態になりそれから週3回の透析が開始されました。
透析の間も容態は安定していて、その後も毎週、透析が出来るようになりました。先生、看護師さん、ありがとうございます。
延命措置をせず、最善を尽くして頂いたお陰でパパの状態が安定し5月に入ってからは酸素マスクも取れて、鼻だけの酸素になり・・・
今では口、鼻と両方の酸素マスクがとれて大部屋病棟に移動する事も出来ました。
パパ良く頑張ったね。本当に頑張ってくれて、本当に良かった。
私は3月中旬に会社を退職したので、一番パパが辛いときにずっと傍に居ることが出来て良かった。
付きっ切りの介護生活は、世の中の会社では認知されていないのが現実。
パパの体調によって、欠勤したり遅刻したりが去年の介護生活からスタートしてから多くなり、会社にも正直居ずらくなってしまった。
会社の人達にも、いろいろ言われている事は分かっていたけどそれでも、介護を経験している数少ない方達には、沢山励ましてもらいなんとか、頑張れました。
育児休暇があるように、介護休暇も、もっともっと認知されれば介護生活も余裕が出来るのでは無いかと思います。
これから先、お年寄りが多くなる時代ですが、不安が多いですよね。。。。
会社と介護の生活は、私も余裕が無くて、パパにきつく当たってしまったりしたので、後悔していましたが、これからはそんな後悔が無い様に、会社も辞め、いつでもパパが帰ってこられる様に、また近所で知り合いの会社で昼間の時間帯だけ、働かせて貰えることになりました。
お昼から夕方までなので、毎日朝と夜はしっかりご飯作ってパパと一緒に居られるからね♪♪
夜中のおトイレでパパが起きても、今までの生活ではないので、私自身も辛くないから大丈夫だよ。いつでも起こしてね。
ずっと、ずっと一緒に居られるから。
まだ、会話も出来ず未だに意識障害がある状態ではあるため、パパに逢いに言っても、話をすることが出来ない日がほとんどだけど、ゆっくりゆっくり頑張っていこう。
ね、パパ。
来月はパパの誕生日。もう時期69歳だね♪♪
パパが70歳になる来年には、結婚式をしたいと考えているけどヴァージンロード車椅子でいいから、一緒に歩いて欲しい。
お姉ちゃんと3人で一緒に歩きたい。
パパ、娘の最後のお願いをどうか聞いてください。
パパが一番辛いのは分かっているけど、それでも『頑張って』としか声を掛けてあげることしか出来ない。
本当にもどかしくて、たまらなくなるけど、たまに見せてくれる笑顔を見ると、生きてくれていて良かったと、本当にパパに感謝しています。
その瞬間、生きていてくれるだけでいいと、改めて思ったよ、パパ。
必ず元気になるって、私もお姉ちゃんも、パパの事を知っている方達もみんなで願っているからね。
また明日からガンバロ♪